ぼちぼち聖書通読

聖書を読む助けになるといいと思って。。。

2018-06-01から1ヶ月間の記事一覧

詩篇 4

私が呼ぶとき、答えてください。 私の義なる神。 あなたは、私の苦しみの時にゆとりを与えてくださいました。 私をあわれみ、私の祈りを聞いてください。(1)

ローマ人への手紙 16

そういう人たちは、私たちの主キリストに仕えないで、自分の欲に仕えているのです。彼らは、なめらかな言葉、へつらいの言葉をもって純朴な人たちの心をだましているのです。(18)

ローマ人への手紙 15

私たち力のある者は、力のない人たちの弱さを担うべきです。自分をよろこばせるべきではありません。(1)

ローマ人への手紙 14

あなたがたは信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見を裁いてはいけません。 何でも食べて良いと信じている人もいますが、弱い人は野菜より他には食べません。(1〜2)

ローマ人への手紙 13

人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。(1)

ローマ人への手紙 12

一つの体には多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、大勢いる私たちも、キリストにあって一つの体であり、ひとりひとり互いに器官なのです。(4〜5)

ローマ人への手紙 11

なぜなら、神は、すべての人をあわれもうとして、すべての人を不従順のうちに閉じ込められたからです。(32)

ローマ人への手紙 10

しかし、信仰による義はこう言います。「あなたは心の中で、だれが天に昇るだろうか、と言ってはいけない。」それはキリストを引き降ろすことです。 また、「だれが地の奥底に下るだろうか、と言ってはいけない。」それはキリストを死者の中から引き上げるこ…

ローマ人への手紙 9

しかし、人よ。神に言い逆らうあなたは、いったい何ですか。形造られた者が形作ったものに対して、「あなたはなぜ、私をこのようなものにしたのですか」と言えるでしょうか。(20)

ローマ人への手紙 8

私たちをキリストの愛から引き離すのは誰ですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、剣ですか。

ローマ人への手紙 7

私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。

ローマ人への手紙 6

あなたがたはこのことを知らないのですか。あなたがたが自分の身を捧げて奴隷として服従すれば、その服従する相手の奴隷であって、あるいは罪の奴隷となって死に至り、あるは従順の奴隷となって義に至るのです。(16)

ローマ人への手紙 5

ただし、恵には違反の場合とは違う点があります。もし一人の違反によって多くの人が死んだとすれば、それにもまして、神の恵みとひとりの人イエス・キリストの恵みによる賜物とは、多くの人々に満ちあふれるのです。

ローマ人への手紙 4

彼は、不信仰によって神の約束を疑うことはせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、神には約束されたことを成就する力があることを固く信じました。(20〜21)

ローマ人への手紙 3

「義人はいない。ひとりもいない。 悟りのある人はいない。神を求める人はいない。 すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。 善を行う人はいない。ひとりもいない。」(10〜12)

ローマ人への手紙 2

ですから、すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。さばくあなたが、それと同じことを行なっているからです。

ローマ人への手紙 1

なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり、信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてある通りです。

詩篇 3

しかし、主よ。 あなたは私の回りを囲む盾、私の栄光、そして私のかしらを高く上げてくださる方です。(3)

伝道者の書 12

空の空。伝道者は言う。すべてが空。(8)

伝道者の書 11

あなたのパンを水の上に投げよ。 ずっと後の日になって、あなたはそれを見いたそう。

伝道者の書 10

愚か者はよくしゃべる。 人はこれから起こることを知らない。 これから後に起こることを 誰が告げることができよう。(14)

伝道者の書 9

というのは、私はこのいっさいを心に留め、正しい人も、知恵のある者も、彼らの働きも、神の御手の中にあることを確かめたからである。彼らの前にあるすべてのものが愛であるか、憎しみであるか、人にはわからない。

伝道者の書 8

風を支配し、風を止めることのできる人はいない。死の日も支配することはできない。この戦いから放免される者はいない。悪は悪の所有者を救えない。(8)

伝道者の書 7

私は、これらのいっさいを知恵によって試み、そして言った。「私は知恵ある者になりたい」と。しかし、それは私の遠く及ばないことだった。(23)

伝道者の書 6

誰が知ろうか。影のように過ごす空しい束の間の人生で、何が人のために善であるかを。誰が人に告げることができようか。彼の後に、日の下で何が起こるかを。(12)

伝道者の書 5

見よ。私がよいと見たこと、好ましいことは、神がその人に許される命の日数の間、日の下で骨折るすべての労苦のうちに、幸せを見つけて、食べたり飲んだりすることだ。これが人の受ける分なのだ。